トルコの街中で映画の撮影をしている場面から始まる。国外逃亡しようとしているカップル、ザラとバクティアールの姿をドキュメンタリードラマ映画としてカメラは追っているのだ。監督役はパナヒ自身。実際の彼同様に出国を禁止され、イランの小さな村からリモート監督として助監督に指示を与えているという設定だ。監督はその滞在先の村で問題となっているカップル、ゴザルとソルデューズの事件に巻き込まれていく。パナヒを軸に、迷信や圧力、社会的な力関係によって妨げられる2組のカップルに起きる想像を絶する運命とは……。見事な構成で描かれるこの2つの物語から浮かび上がるのは、女性蔑視や宗教的な原理主義など、イランを襲っている暴動の現状。
荒涼としたイランの大地を走る1台の車。後部座席では足にギプスをつけた父が悪態をつきながら、旅に大はしゃぎする幼い次男の相手をしている。助手席の母はカーステレオから流れる古い歌謡曲に体を揺らし、運転席では成人した長男が無言で前を見据えている。次男が隠し持ってきた携帯電話を道端に置き去ったり、尾行に怯えたり、転倒した自転車レースの選手を乗せたり、余命わずかなペットの犬の世話をしたりしながら、一家はやがてトルコ国境近くの高原に到着する。そこで父と母は羊飼いや仮面をつけた男と交渉し、長男は「旅人」として村人に迎えられる。旅の目的を知らない次男が無邪気に騒ぐ中、我々はこの家族の行方を知ることになる。
ペルシャ絨毯を通じて生まれた心の交流を描いた日本・イラン初の合作映画。飛騨高山とイランのイスファハンを舞台に、子供同士のほのかな恋を織り交ぜながら、2つの国の文化の壁や国民性の違いを乗り越えてゆく人々の姿を詩情豊かに丁寧に描いており、心温まる人間ドラマが感動を誘う。
母のヌシンは娘のモナに、父親は、山の中で事故に遭い命を落とした、と伝えていた。ある日、モナは地下室に隠されていた箱の中で、見知らぬ日本人男性と母、そして幼児期の自分が写った写真を見つける。一方のヌシンは、ある電話を受け、不安な思いを抱えていた。ある夜、ホテルで田中と会ったヌシンは、「お金は返すからモナには絶対に会わないでほしい」と頼み込む。母と娘が抱えた秘密と嘘は、やがて悲しい真実へとたどり着く――。
テヘランに住む若き夫婦の穏やかな日常が、突然降りかかった事件をきっかけに一変する。夫の留守中、妻が侵入者に襲われてしまったのだ。警察に通報して犯人に罪を償わせたい夫と、事件を表沙汰にしたくない妻の感情はことごとくすれ違い、深い溝が生じ始める。やがて苛立ちを募らせた夫は自力で犯人捜しに乗り出すが、その行く手には夫婦の人生をさらに揺るがす意外な真実が待ち受けていた……。
国境沿いの立入禁止区域に放置された船を根城にし、魚や貝を獲ってひとりたくましく生活する少年。孤独だが静かな船の暮らしに、突然国境の反対側から少年と同じくらいの年の少年兵が乗り込んでくる。「船のこちら側は自分の陣地」とばかりに甲板にロープを張り勝手に船の備品を持ちだしていく侵入者に少年は怒りの声をあげるが、言葉が通じない。ときに銃を持ちだす少年兵には何を言えず、コミュニケーションの取れないまま謎を抱えた少年兵との生活が始まった…。
テヘランで暮らす妻シミンは、11歳になる娘テルメーの将来のことを考えて、夫ナデルとともにイランを出る準備をしていた。しかしナデルは、アルツハイマー病を抱えることとなった父を置き去りにはできないと国を出ることに反対。夫婦の意見は平行線をたどり、シミンが裁判所に離婚申請をするが、協議は物別れに終わる。シミンはしばらく家を出ることとなり、ナデルは父の世話のためにラジエーという女性を雇うことにした。しかし、ある日、ナデルが帰宅すると、父は意識不明でベッドから落ち床に伏せていた。ナデルは怒りをあらわにして、ラジエーを問い詰め、彼女を手荒く追い出してしまう。その夜、ナデルは、ラジエーが入院したとの知らせを受ける。しかも、彼女は流産したというのだった……。