1991年7月15日、東京ドーム。この日、宗教家・一条悟の大講演会がはじまろうとしていた。マスコミも大々的に報じ、日本中が注目する一大イベントの模様をレポートしているアナウンサー・立花美穂。そのテレビ画面を見ている裁判官の水瀬千晶。そして郷土の母や学生時代の友。さらにかつての会社員時代の同僚や上司たち―それぞれの胸に去来する悟との日々が回想される―四国の小さな町に生まれ、一流大学を経て大手商社に就職。若くして社長候補と期待されるエリートの道を歩みながら、突然退職し、姿を消した一条悟。なぜ彼は、約束された将来を捨て去り、宗教家になることを選んだのか。どうして愛する人たちにも何も告げずに、ただ一人往くことを決めたのか―そして、いよいよ大講演会の幕が上がりはじめる。
これはとある場所の小さな、レストランの物語。そのレストランの営業時間は決まっていない。そこは人生でたった1度しか訪れることが出来ない。そこは三途の川を渡る前、最後の晩餐をとるためのレストラン。そのレストランでは料理の注文をすることは出来ない。できるのは最後の晩餐の相手を選ぶこと。選べる人の条件は既にこの世に存在しない人物、1人に限るということ。相手が決まれば料理も自然に決まる。料理するのは韓国人のハン(ジュンQ)、給仕は日本人の岬(村井良大)。レストランに訪れる人達の思い出の料理を振舞い、その料理を口に運んだ人達はみな笑顔になり饒舌になる。そして新たな旅路へと向かっていく。一方、ハンは記憶の全てを現世に置き忘れてきてしまっていた…ハンは、岬は、なぜここで料理を振舞っているのか?そもそも、ハンも岬もこの世の住人なのか?それとも…。
コロナ禍。舞台や映画のようなエンターテインメントは「不要不急」という言葉によって表現の場を失われつつあった。突然の緊急事態宣言、そして公演中止。それは役者だけでなく、現場に関わるスタッフ、楽しみにしてくれている観客の方々、多くの人々の楽しみを一瞬にして奪ってしまう。ポストコロナと言われる中で、我々はどのようにして芸術と向き合っていくべきなのか、どのようにして<私たちの表現>を観客に伝えていくべきなのか?520名の命を奪った航空機事故をモデルにした舞台『幸せになるために』に向き合ったキャスト・スタッフの一夏の物語。
真由美は、恋人の智に、週末彼の実家に行かないかと誘われる。とうとう結婚秒読みと胸を弾ませ、実家に向かう真由美。そこに待っていたのは戸籍上、智の養母となっていた元恋人の浩子と4歳になる長男の剛だった。真由美は驚き、憤慨し家を飛び出す。そんなタイミングで、以前から真由美に恋心を抱いていた順平から食事に誘われ、真由美の気持ちは揺れながらも一晩を過ごしてしまう。交差する様々な愛の形。やっと平穏が訪れると思った矢先、衝撃のラストが待ち受ける。
和歌山市の商店街で美容室を営む直人。妻の京子は美容室の2階で書道教室をしていた。教室に通う7歳のサキは問題児だったが、直人との間に子どもがいなかった京子は、サキを自分の娘のように可愛がっていた。10年後、直人のもとに一本の電話が入る。それは10年前の「ある事件」以来、会っていなかったサキからの電話だった。彼女は視力を完全に失い、直人も妻・京子を5年前に亡くしていた。サキの思いを知った直人はある決意をする。