占拠されたビルの中。集団は狂気と破壊と祝祭へと向かう。従来の力強さに自由なタッチが導入された大森監督の異世界。放射能が地上に降り注いで故郷を奪った。映画からはフィルムがなくなろうとしている。そんな瓦解しそうな世の中に、ほぼ発狂した‘シネマインパクト’が忽然と現れ、僕は映画を作った。誰にも望まれてない映画を作る覚悟を自分自身に、そして参加者に問いました。無力な自分への怒り、壊れかけの社会へ抗い、傷つき、ひねくれ、憎しみ、それでも笑い、もう一度立ち上がる覚悟です。僕は暴動の映画を作りました。シネマインパクトは映画の暴動になればいい。
目に見えない放射能に怯え戸惑いながら生き方を探る人々。瀬々敬久監督が描く原発事故後の日本。始まりは、詩を書き、その朗読で競い合う「詩のボクシング」。映画のヘソも彼らの声である、その詩。制作受講者はそこから脚本を書く。すべてが化学反応の場所。今、ここで起こることだけで映画を作る。疲れは尋常でなかった。なにせ皆、こちらのパワーを吸い取ろうと野心満々なのだ。それでいて良いのは各人バラバラなこと。てんでバラバラでまだ何者でもないデタラメな集団で生み出した映画、冗談でなく少し誇りに思っている。
2014年。関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁裁判長は、定年退官を機に日本の全原発に共通する危険性を啓発する活動をはじめた。それは、原発が頻発する地震に耐えられないことを明快に指摘する “樋口理論”である。そして日本中の原発差止訴訟の先頭に立つ弁護士・河合弘之は、“樋口理論”を軸に新たな裁判を開始した。逆襲弁護士・河合と元裁判長・樋口が挑む訴訟の行方はいかに!一方、福島では放射能汚染によって廃業した農業者・近藤恵が農地上で太陽光発電するソーラーシェアリングに農業復活の道を見出す。近藤は反骨の環境学者・飯田哲也の協力を得て東京ドームの面積超の営農型太陽光発電を始動させる。「原発をとめるために!」と。脱原発への確かな理論、被災から立ち上がる不屈の魂、これは真実と希望の映画である。
1986年、ソ連の構成国だったウクライナのチョルノービリ原子力発電所で、世界最大級とされていた施設が大規模な爆発事故を起こした。事故は周辺住民の健康と自然環境に深刻な被害をもたらし、その影響は今なお続いている。事故当時、若き科学者として現地調査に参加したアレン・ドブロヴォルスキーは、30年以上を経た現在、地球環境問題に取り組む専門家となっていた。そんな彼が再び現地を訪れ、事故が環境と人間の健康にどのような影響を及ぼしたのかを探るため、当時を知る専門家たちに話を聞き、立ち入り禁止とされる広大な汚染地帯へ、自らの命を危険にさらして足を踏み入れていく。
3.11の東日本大震災で、日本は大きな傷を負った。多くの命が、大切なものが奪われた。福島第一原発事故はチェルノブイリ以来の大事故となった。今後日本と世界はこの問題を長く抱えて生きて行くことになるだろう。いまも僕らに重くのしかかる未曾有の震災、そして原発事故。3月11日に起こった震災、津波被害は、私たちの生活だけでなく、現代人の精神をも揺るがし、濁流へと飲み込んだ。僕らは日本の未来を、自分たちの将来を、憂い、悩み、考えずにはいられなくなった。震災、津波の被害、原発問題、政治、文化、、、日本の全てについて、改めて考え直すきっかけとなった。気がついたら、先輩たち、専門家たち、友人たち、本当にいろんな人たちと語り合っていた。新しい友達もふえていた。その『友人たち』が語る震災当時と、その後、そして今。そこから浮かび上がる日本の今と未来、問題と課題を描きたい。岩井俊二
同居している男に言われるままに身も心も搾り取られる生活に甘んじている今日子(安藤サクラ)と、母親を助けるために事件を起こしてしまった修一(柄本佑)。物語の中でふたりが言葉をかわすことは、ない。それぞれの理由で故郷に戻れなくなってしまった彼らは、過去を清算しながら生きることを誓った東京で懸命に日々を生きていた。そんなある日、二人の日常を揺さぶる出来事が起きる。今日子と修一は予期せぬ運命の糸に操られながら、どうやって“明日”を見つめていくのだろうか―。
福島第一原発1~4号機の廃炉に続き、安部政権はついに5,6号機の廃炉も要請した。しかし、廃炉にする、と言うは易しいが、実際にはどうなのか?果たして我々人類に、この限りなく危険な存在を容易く無に帰するような能力が備わっているのだろうか?今まで真正面から取り上げられるのを避けられてきた、この廃炉の問題に鋭く切り込んだドキュメンタリー、それが本作である。現在9基の原発が廃炉作業に入っている、世界最大の原発大国フランス、脱原発を進めるドイツ、そしてスリーマイル島事件を経験したアメリカ。それぞれの国で廃炉がどう進められているのか、そしてその過程で発生した問題が何か、それに回答はあるのか、取材陣はタブーを恐れず、解体中の原子炉の現場から、原子力行政をつかさどる官僚や反原発活動家まで、あらゆる分野に足を踏み入れ問題点をあぶりだす。技術的問題(否応なく大量発生する放射性廃棄物の最終処理方法はどこの国でも定まっていない)、経済的問題(何百億円とかかる廃炉費用、しかしその金額を満足に積み上げているところはどこにもない)、そしてヒューマニズムに係わる問題(隠ぺいされる下請け作業員の被爆)、現在立ちはだかっているこのような問題を明確に浮き彫りにしながら、取材陣は問いかけ続ける「果たして、それでも廃炉は可能なのか?」
突然、放射性物質となってしまった福島さんは多くの人から差別を受けていた。ある日、妊娠をした妹がやってくる。福島さんの姪ということで、生まれてくる子供も差別されるのではと恐れていた。一方、エネルギー関係者、永田町関係者、マスコミ関係者はサッカーに興じながら、福島さんに放射能の責任を押し付けようとする会議をしていた。様々な人々の思惑や不安の中、追いつめられた福島さんはある決断をする。
一徳は事業に失敗し、生きることに絶望して東京をさまよっていた。古びた零戦模型を見つめていた下町のおもちゃ屋で不思議な少女と出会い、一徳の運命が動き始める。一徳は詐欺まがいのリフォームの仕事を得て福島にたどり着く。健人は原発事故で避難を余儀なくされた高校生。不思議な少女・凛は両親が離婚し、父のふるさとである福島へやって来た。福島で再会を果たした一徳に凛はこう告げる。「一徳は前世私たちの息子だった、そして健人は父、私は母だった。今、私たちを呼んでいる人がいる・・・そのために生まれ変わってここに集まった」彼らをずっと待っていたのは、戦争以来ひとりぼっちで生きてきた妹・百合子だった。