小林多喜二は、一九〇三年(明治36年)秋田の貧しい農家に生まれた。彼が四歳の時、一家は伯父のいる北海道小樽に移住した。伯父のパン工場で働きながら勉学に励み、高商(商大)卒業後、北海道拓殖銀行に勤務する。多喜二は、銀行業務帳簿の合間に小説を書いていた。二十一歳の時に田口タキと出会い恋に落ちる。借金までして彼女をわが家にひきとったが、タキは突然、多喜二の深い愛から逃げるように去っていった。また、社会で歴史に残る悪法「治安維持法」(一九二五年四月)が制定された。激しい抵抗運動が起き時代の大きな鼓動と呼応するかのように多喜二の胸を激しく打った。多喜二は文学にうちこみ、同時に労働者、農民闘争に参加した。そして遂にデビュー作「一九二八年三月十五日」を書きあげ、名実ともにプロレタリア作家としての道を歩むことになる
「投資詐欺の容疑で国際手配され、タイで拘束された渡部聡子容疑者は、日本に強制送還する機内で逮捕され、東京の警察署に身柄を移されました。被害総額は50万円から10億円以上にのぼると言われています」護送車に乗った女は車を取り囲んだ報道陣から声をかけられると、「私も被害者の一人です」と言って艶然と微笑んだ。
質素倹約令が発令され、庶民の暮らしに暗い影が差し始めた江戸時代後期。鎌倉には離縁を求める女たちが駆込んでくる幕府公認の縁切寺、東慶寺があった。但し、駆け込めばすぐに入れるわけじゃない。門前で意思表示をした後に、まずは御用宿で聞き取り調査が行われるのだ。戯作者に憧れる見習い医者の信次郎は、そんな救いを求める女たちの身柄を預かる御用宿・柏屋に居候することに。知れば知るほど女たちの別れの事情はさまざま。柏屋の主人・源兵衛と共に離婚調停人よろしく、口八丁手八丁、奇抜なアイデアと戦術で男と女のもつれた糸を解き放ち、ワケあり女たちの人生再出発を手助けしていくが、ある日、二人の女が東慶寺に駆け込んできて…。
大正7年、盲目の女旅芸人おりんは山間の阿弥陀堂で大男・平太郎と出会い、地蔵堂などを泊まり歩く奇妙な二人旅が始まった。ある日平太郎がいない間に、おりんは香具師仲間の別所彦三郎に帯をとかれてしまう。全てを見た平太郎は、ノミを片手に走り去る。2人は別れて旅を続けるが、後に再会し結ばれる。しかし、平太郎は別所殺しの殺人犯・脱走兵として追われていた。平太郎は逮捕され、おりんが初めてつかんだ愛もつかの間に終わる。