このままでいいんや、このまま幸せになるんや 1995年春、兵庫県西宮。脳性麻痺の娘・望美(5歳)を抱え、介護に勤しむ美幸(38歳)は、望美の世話をできるのは自分だけと、介護に、家事に、子育てに、家の中のことを全て背負っていた。次第に追い詰められていった美幸は、長年会っていない大分に住む母・喜子(65歳)に支援を頼む。「そげな子は、自分で育てられるわきゃないき!こっちはこっちの生活があるんやけん!」意を決し助けを求めた美幸に対し、母の言葉は残酷だった。見えないストレスを抱えた美幸は、見た目は元気ながらも不眠と摂食障害に悩む“仮面うつ”を患ってしまう。そんな疲れ切った毎日で、美幸は“望美がいなかったら幸せだった…”という自分無思慮な考えにハッとするが次の瞬間、同じ団地に住み、いつも母親のようにしてくれる大守(83歳)に言われた言葉が脳裏に浮かんだ。「全ては自分やからね」望美のせいじゃない。全ては自分次第だ。そう思った美幸はもう一度自分らしい生き方を取り戻すべく、夢だった児童文学者への道を目指し、小説を書きはじめる。こうして美幸が前向きになり、暗闇から抜け出そうと決めた途端、新たな試練がやってきた。母が認知症とうつ病を併発してしまったのだ…。
信州上田の病院。上田出身の老作家、新藤幸一郎は肺ガンにより余命を宣告されていた。担当の看護師滝田希美は、看護学校を卒業して故郷に戻ってきた。昔のように情熱が出ないと言う新藤に、希美は情熱は出ると思えば絶対に!と言うが…
詩人・小説家の耕治人が妻ヨシさんとの晩年の日々を綴った<命終三部作>(『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』)を映画化したヒューマン・ドラマ。長く連れ添ってきた妻がある日突然認知症となり、穏やかな日常が一変してしまう中で、それでもすべてを受け入れ妻を優しく見守り続ける夫の姿を描く。主演は雪村いづみと上方落語界の重鎮、三代目桂春團治。