50年以上前のこと。ウェールズの田園地方の奥深くで、キングズリーとチャールズ2人の兄弟が牛の乳搾りをしながら、家業の酪農場を受け継ぐ準備をしていた――しかし、彼らが夢見ていたのは音楽作りだった。2人は農場内の家の屋根裏部屋に豚の飼料袋を何重にも重ね、防音の壁を手作りした。徐々に機材を揃え録音のノウハウを得ると、ミュージシャンたちが訪れ、寝泊まりするようになった。そうして思いもよらず彼らは世界初の宿泊可能な滞在型音楽スタジオを作りあげた。それが、史上最も成功したレコーディングスタジオの1つと言われる、ロックフィールド・スタジオの始まりだった。ロックフィールドの評判は瞬く間に広がり、あっという間に世界的な名声を得た。数え切れないほどの人気アーティストの面々がロックフィールドで様々なエピソードを残し、素晴らしい音楽を作り出した。後に大ヒットとなるクイーンの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」が生まれたのもこの地。キングズリーは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが外で遊んでいる中、スタジオの片隅でまだ名もないその曲を、フレディ・マーキュリーがピアノで弾いていたのを覚えていると語る。「バーミンガムからモンマスに行くだけで冒険だった。俺たちはスタジオに行ったこともなけりゃ、農場に行ったこともなかったんだ!」とオジー・オズボーン。「スタジオでは最高の歌声を聴かせた。すべてに全力投球だったんだ」と語るのはリアム・ギャラガー。名曲「ワンダーウォール」のボーカルをどちらが担当するか兄弟で喧嘩したり、リアムがパブで知り合った人間を連れてきてノエルを激怒させた逸話はいかにも彼ららしいエピソードだ。クリス・マーティンは「まるで音楽のホグワーツ魔法魔術学校みたいな場所で、僕たちは導かれるように送り込まれたんだ。素晴らしい体験だった」と語る。スタジオの機材トラブルに見舞われている間、外に出て星空を見てふと浮かんだという「イエロー」誕生のエピソードは音楽ファンを夢中にさせるだろう。
米国ロサンゼルス。ハリウッドとビバリーヒルズを結ぶサンセット大通りの一角に佇む「サンセット・ストリップ」と呼ばれるエリア。『ロック・オブ・エイジズ』の舞台となったこの地区は、今日に至るまで、音楽を中心とする様々なカルチャームーブメントを世界に発信し続けている。禁酒法が制定された20年代に開拓され、売春宿「マダムフランシス」が名を馳せたのちに40年代には世界的ナイトクラブシーンへ発展。マフィア抗争で揺れ、若者らが暴動に走り、グルーピーとドラッグに溢れ、セックスアンドロックンロールが蔓延。80年代ファッションが注目され、90年代にはヒップホップとグランジが君臨。光と影に覆われた激動の時代を経て今なお、夢と希望、栄光と挫折が共存するこの偉大なストリートのヒストリーを、この地に親しんだミュージシャンやハリウッドセレブなど、数々の著名人たちの言葉とともに振り返る。