★映画評論家、佐藤忠男、「映画」で世界を変えようとした男がいた――日本で初めて、ひとりの映画評論家に迫ったドキュメンタリーが誕生 日本を代表する映画評論家、佐藤忠男。独学で映画評論の道を拓き、60年にわたる批評人生で日本映画史を体系化した功績、そして後年、ライフワークとしてアジア映画を発掘し、日本に先駆的に紹介した功績から、日本におけるアジア映画研究の第一人者として知られる。アジアとの映画交流や後進の育成にも尽力し、韓国、フランス、モンゴル、ベトナムなどから勲章を授与した唯一無二の存在である。庶民の目線から多岐に論じ、150冊を超す著作を有する映画評論の巨人をアジアへと突き動かすものは果たして何だったのか? 2022年に91歳で逝去した佐藤忠男が映画を通して夢見た世界を探る。
<第1部>東学を起こしたチェ・ジェウ(崔済愚=スウン)が死刑に処せられ、2代目教主のチェ・シヒョン(崔時亨=ヘウォル)は、朝廷からの逃亡者となる。テグ(大邱)のパク捕校に追われたヘウォルは、チュクビョンに潜伏して組織を再建し始めるが、そこでパク捕校による襲撃にあってまた身を隠す。東学は、丙寅洋擾(江華島事件)によってより一層苛酷な弾圧を受けており、道人(天道教徒)たちは、スウン先生の4周期追慕式で東学をより一層確固たるものとして組織を育てる。ヘウォルは、イ・ピルジェから東学の乱を起こす勧誘を受けるが、これを拒んで教祖の伸寃(恨みをはらすこと)を嘆願するというイ・ピルジェの誓いで道人の通院を許諾する。しかし、イ・ピルジェは、むしろ乱を起こし、東学の根を揺さぶろうという。パク捕校は、密偵として乱に参加するが、官衙の拷問を受けて亡くなり、彼の息子は、ヘウォルの死を誓う。イ・ピルジェの乱で、ヘウォルの夫人と子供たちは官衙に捕まり、拷問を受けてばらばらに散在するようになる。大院君は、辛未洋擾で鎖国政策を繰広げ、イ・ピルジェは処刑される。ヘウォルは、テベク(太白)山の赤潮岩で隠遁生活をするが見つけられて逃亡し、露宿を求めた家で越冬したり、いろんな地域を巡たりして、東学を伝播し開闢を知らせる。そして、ヘウォルは、道人たちのために2人目の夫人を迎える。<第2部>ヘウォルは、道人たちのおかげで第1夫人に会い、家族の消息を聞く。第2夫人が亡くなり、第1夫人を訪ねたヘウォルは、病気看護をしながら東学を伝播する。そして、62歳の時に3番目の夫人を迎え、第1夫人の病気看護を任せてホナムを訪ねる。東学の組織は、民衆の信頼を得て、より一層大きくなり、東学の指導部は、教祖伸寃を要求して光化門で複合上訴をする。その上疏文は受入れられるが、腐敗した朝廷と蛮夷が闊歩するソウルを正しいと思わない東学の指導部は、3月11日に集会を強行する。ヘウォルと指導部の開闢には、意見の相違が存在するようになり、ヘウォルは、朝廷の官僚と交渉をするが、朝廷の腐敗と逼迫した生活で不満が溜まった民衆は、乱を起こす。日本軍のソウル進入で始まった日清戦争で朝廷は敗れ、日本軍と官軍は、東学を弾圧する。これに対し、チョン・ボンジュン将軍は動員令を訴えるが、ヘウォルは、東学の本来の意味を抜け出すという理由で蜂起を命じない。しかし、進退両難に陥ったヘウォルは、時代の流れを拒めず、蜂起を命じる。日本軍と大々的に戦った東学軍であったが、新式武器のため完全な敗北を味わい、東学の指導部たちは、逮捕されて処刑される。そして、ヘウォルも東学人の密告により捕まり、絞首刑に処せられる。