明治末期、富山県城端町の貧しい農家の長男に生まれた権次郎は、向学心に溢れ、富山県立農学校(現在の南砺福野高校)を首席で卒業。 「種の起源」(ダーウイン著)と出会う。農家を救うためには、美味しくて収量の多い米を作ることが必要と考え、東京帝国大学農学実科に進学。大正7年農商務省に入り、秋田県大曲にある陸羽支場で、「陸羽132号」そして「水稲農林1号」の育種に取り組む。 権次郎は生真面目な性格で、周囲に溶け込めなかった。上司の永井の勧めで「謡」を習い、生涯の伴侶となる佐藤イトと出会う。 一目ぼれした権次郎は、ふるさと西明で祝言をあげた。大正15年、突然岩手への転勤を命じられる。 岩手は小麦の育種が主流、稲の研究成果は、新潟農事試験場の並川に受け継がれ、「水稲農林1号」は「コシヒカリ」となる。 稲の育種の機会を奪われた権次郎だが、小麦増産が国家的プロジェクトと知り、岩手県農事試験場に移り次々と小麦の新種を開発。 昭和10年秋、小麦農林10号=NORINTENが完成した。特色は半矮性、従来の小麦に比べ、背の低い品種で穂が倒れにくく、栄養が行きわたりやすかった。昭和13年、権次郎は華北産業科学研究所(北京)に異動。イトも同行した。昭和20年、敗戦、中国側の意向により、2年間留め置かれた。 戦争末期の混乱から、イトが精神的に錯乱を起こした。昭和22年秋帰国。権次郎はイトとの穏やかな生活を選び、金沢に赴任した。 定年後は地元の農家のために、圃場整備に力を注いだ。昭和50年頃、思いがけない知らせが届く。 「小麦農林10号」の種が戦後米国に送られ、世界の食糧危機を救う基になったのだ。 昭和48年最愛の妻イトが亡くなると、野焼きで見送った。「妻イトには中国で大変な労苦を掛けてしまった」と悔やんだ。昭和56年、ノーマン・ボーローグ博士と対面。 世界の小麦を変えた二人が手を握り合った。昭和63年12月7日、稲塚権次郎死去。享年91
桑畑兆吉(仲代達矢)は、舞台、映画にと、役者として半世紀以上のキャリアを積み、さらに俳優養成所を主宰する大スターだった。芝居を愛し続けた、かつてのスターも、今や認知症の疑いがあり、長女・由紀子(原田美枝子)とその夫であり、兆吉の弟子だった行男(阿部寛)、そして、由紀子と愛人関係にある謎の運転手(小林薫)に裏切られ、高級老人ホームへと送り込まれる。遺書を書かされた挙句にだ。しかし、ある日、兆吉はその施設を脱走する。なにかに導かれるように、あてもなく海辺を歩き続ける。シルクのパジャマ姿にコートを羽織り、スーツケースをひきずって―。兆吉は彷徨い歩くなかで、妻とは別の女に産ませた娘、伸子(黒木華)と突然の再会を果たす。兆吉には、私生児を産んだ伸子を許せず、家から追い出した過去があった。伸子に「リア王」の最愛の娘・コーディーリアの幻影を見た兆吉。兆吉の身にも「リア王」の狂気が乗り移る。かつての記憶が溢れ出したとき、兆吉の心に人生最後の輝きが宿る―。