新世紀を迎えたばかりの2001年の台北。恋人のハオと一緒に暮らしているヴィッキーは、仕事もせずに毎夜、酒とゲーム、クラブ通いと荒れた生活を続けるハオにうんざりしていた。仕方なく始めたホステスのバイトで出会ったガオのもとへ逃げこんだヴィッキーだったが、ガオがもめ事に巻き込まれ、日本へ旅立ってしまう…。
当時『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の脚本をホウ監督と執筆中だったチュー・ティエンウェン、ホウ監督と共に台湾ニューシネマをけん引してきたウー・ニェンチェンら映画人たちのインタビューを交えつつ、『童年往事 時の流れ』(85)『冬冬の夏休み』(84)『悲情城市』(89)『戯夢人生』(93)『憂鬱な楽園』(96)の映像と共に、ホウ監督とアサイヤス監督が作品にゆかりのある鳳山、九份、金瓜石、平渓、台北をめぐる。気心の知れた二人の何気ないやりとりから、ホウ・シャオシェンの飾らない素顔が立ち現れてくる。
CM撮影のために澎湖島を訪れたシンホエと恋人のローザイは、目の見えない青年・チンタイと出会う。撮影を終え台北に戻ったシンホエは、街中で偶然チンタイと再会する。研修医だったチンタイは2年前に交通事故で失明していた。どこかチンタイのことが気にかかりだしたシンホエだったが、やがて実家のある台湾中部の村・鹿谷の小学校に代理教員として赴任することに。一方、角膜移植の手術に成功し視力を取り戻したチンタイは、シンホエのいる鹿谷を訪ねる。のどかな田園風景と子供たちに囲まれ、次第に距離を縮めるふたりだったが……。
台湾の人間国宝で布袋戯の人形遣い・陳錫煌(チェン・シーホァン)は、80歳を超えた今も世界各国で公演し、多くの人々を魅了している。墨をする指先、キセルを燻らす恍惚とした表情、ダイナミックで軽やかな立ち回り――繊細で力強い生命力にあふれた人形たちの動きが陳錫煌の指先から生み出されていく。1970年代以降、現代風にアレンジされた布袋戯がテレビで人気を博す一方で、伝統的な布袋戯の観客は減少していった。台湾の伝統芸能を絶やすまいと奔走する陳錫煌のもとには、フランス人のルーシーをはじめ多くの弟子が集まっているが、薄れゆく伝承への焦りは、日々募るばかりだ。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)作品の常連俳優で、人間国宝であった偉大なる父・李天禄(リー・ティエンルー)の背中を追いかけ続けてきた陳錫煌。長男である彼が母の姓を継いだことで、父との間に生まれたわだかまりは、何年経っても消えることはなかった。親子、そして師弟としての葛藤、家を継ぐこと、芸を継ぐこと……人生の最晩年に至った陳錫煌が、渾身の力を振り絞って、ただひとつのことを守り伝えようとする姿に、あなたの心は揺さぶられるに違いない。
台北市内のガランとしたマンションの空き家を訪れる男女二人。女は、ステレオをあそこに、テレビはここに、と夢を膨らませている。男は気のない様子でバッティングの素振りのフォームをしながら「内装に金がかかりそうだ」、「わたし、今度昇進するから大丈夫」。女はアジン。不動産ディベロッパーで働くキャリアウーマンだ。男はアリョン。少年時代はリトルリーグのエースとして将来を嘱望されていたが、いまは家業を継ぎ、廸化街で布地問屋を営んでいる。二人は幼なじみ。過去にはそれぞれいろいろとあったようだが、なんとなく付き合いが続いている。順調に思えたアジンの人生だったが、突然勤めていた会社が買収され解雇されてしまう。居場所を見失ったアジンは、アリョンの義理の兄を頼ってアメリカに移住し新たな生活を築こうと、アリョンに提案する。しかしアリョンにはなかなか踏ん切りがつけられない。ここには少年野球の仲間もいるし家業もある。一度は決心して資金を作るため家も売るが、昔気質のアジンの父親が事業に失敗するとその肩代りに奔走することになる。すきま風が吹き始める二人の間に、ある過去の出来事が重なり、そしてやがて思いもよらない結末が訪れる……。