『守り継がれていくものがここにある』“手塩にかける”の語源とも言われる「揚げ浜式製塩」は、石川県能登半島の最北部「奥能登」で江戸時代から一度も途切れることなく続けられてきた。真夏の炎天下、汗だくの浜作業は、天気に左右される力仕事で、続く釜焚きは薪に火が灯れば摂氏60度にもなる釜屋で一昼夜寝ずの作業となる。日本の高度成長を陰で支えた大量生産による現代日本の製塩技法が確立した今、それでも浜士と呼ばれる男たちが、手づくりの塩にこだわり、日夜塩づくりに励む意味とは……。
日本人の主食「米」と向き合い、目に見えない菌と闘い、理想の一献を目指す。現代を生き抜く能登杜氏たちの、酒造りへのこだわりと、挑み続ける理由とは……。 石川県能登半島を出身とする酒造りの技能集団「能登杜氏」。そんな彼らの夏はというと、漁業や農業に勤しみ、自然と共に暮らす姿がありました。酒造りとは、農閑期となる冬、現金稼ぎのため仕事を求め働きに出たことが始まりだったのです。家族と離れ、辛く厳しい現場で、蔵全体の行く末を左右するほどの責任が課せられるたった一人の選ばれし「杜氏」というポジション。その昔、酒を腐らせ自殺する者もいたと言います。 全国の杜氏集団の中でも、現在の吟醸酒の礎を築いた有名杜氏たち四人衆。「能登杜氏四天王」。彼らが築き遺したもの、それは後輩杜氏の中に息づいていました。 四人全員を師とする現役トップ杜氏、坂口幸夫杜氏と家修杜氏。そして、その下に続く、若手杜氏たち六人。その中には、能登杜氏始まって以来の初の女性杜氏のデビュー一年目の姿や、先輩の大きすぎる背中に追いつけないジレンマの中にある者も。