徳川家康がその死を最も悲嘆したという【大谷吉継】(1565-1600)。豊臣秀吉に仕えていた吉継は、秀吉の死後、豊臣家に巻き起こった数々の問題に家康と連携し対処していく。家康と吉継の信頼関係は絶大...
1862年将軍徳川家茂の上洛時に警護する「浪士組」として始まったが、その後「壬生浪士組」「新選組」と名を変え、京都守護職の松平容保から尊王攘夷や倒幕を唱える藩や浪士の取締りと京都市内の治安維...
源頼朝・義経とは従兄弟だが、一族の対立により義平に父・義賢を殺され、2歳の義仲は木曽に落ち延びた。1180年、平氏討伐で以仁王が挙兵。26歳になっていた義仲も信濃で挙兵し、1183年、平家一門を「都...
父は浅井長政、母は信長の妹お市で、三姉妹の長女。信長と敵対した父は自害。母と三姉妹は信長の庇護を受けるが、その信長も本能寺の変で自害…。母が嫁いだ柴田勝家は、秀吉との戦さに敗れ、母は勝家と...
明智光秀の娘ガラシャ(たま)は、16歳の時に織田信長のすすめで細川藤孝の嫡男・忠興に嫁いだ。しかし、父・光秀が主君・信長を虐殺した本能寺の変で「謀反者の娘」という運命を背負うことになってしま...
天文16年(1547)、信長の13歳離れた妹として織田家に生まれる。「天下布武」を目指す兄の命で、永禄10年(1568)頃、浅井長政と政略結婚するが、浅井家と兄の対立から居城の小谷城は織田軍に攻められ落城...
主君の切腹と藩の取り潰しで揺れる赤穂藩。「籠城か?」「切腹か?」「仇討ちか?」藩内の意見は分かれるが、老中の大石内蔵助の望みは「お家再興」だった。しかしその望みも消え、ついに決断する。「...
徳川家康が「日本一の兵(つわもの)」と賞した戦国時代最後の武将。彼の死で戦国時代が幕を閉じたといっても過言ではないのだろうか。1615年 豊臣VS徳川「大坂夏の陣」因縁の徳川家康との戦いの前、実...
1184年。義経は精鋭70騎を率い急峻な崖から逆落としを仕掛けた「一ノ谷の合戦」をきっかけに、平氏を滅亡に追い込み、都ではヒーローとして迎えられた。しかし、兄・源頼朝に自害に追いやられてしまう...
『腐敗した江戸幕府を“世直し”大塩平八郎』江戸末期の大坂町奉行所の与力だった平八郎(1793-1837)は、敏腕与力で名をはせたが38歳の若さで辞職。当時、天保の大飢饉で米の値段は6~7倍に跳ね上がり、...
「なぜ本能寺の変を起こしたのか!?」信長を謀反で討った明智光秀だが、頼りにしていた細川藤孝・忠興親子、筒井順慶・高山右近、中川清秀など懇意にしていた武将から見捨てられ、ライバル羽柴秀吉との...
鎌倉幕府を倒すきっかけを作り、「建武の新政」の立役者・楠木正成だが、謎があまりにも多き人物。現在の大阪府千早赤阪村で独自の商業圏を作り上げた一族の棟梁で、どの権威にも従わない為、「悪党」...
近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺された坂本龍馬。誰が暗殺したのかは日本の歴史の最大のミステリーといわれるが、その龍馬の墓にはある謎があった!!
本能寺の変で主君・織田信長を討った明智光秀。しかしその証である信長の首を手に入れることはできず、これが原因で細川藤孝などが味方しなかったともいわれている。山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れた光秀...
都落ちした平家は、「一ノ谷の戦い」で源義経の猛攻の前に大敗。須磨の海岸から逃げようとする平家の一団の最後にいた一人の若武者、平敦盛は彼を呼び止めた源氏の武者、熊谷直実に勇敢にも戦いを挑む...
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