1893年、ピエールとマルトは画家とモデルとしてパリで出会う。ブルジョア出身のピエールは謎めいて型破りなマルトに強く惹かれ、二人はともに暮らし始める。田舎に家を見つけ社交的な世界から遠ざかり、クロード・モネなど限られた友人との交流を除いては半ば隠遁生活の中で絵画制作に励むピエール。マルトをモデルにした赤裸々な絵画は評判となりピエールは展覧会で大成功をおさめる。1914年第一次世界大戦が始まった夏、仕事で毎週パリに赴くピエールに不安がつのるマルト、終戦間近にはパリのアトリエでピエールのモデルになっている美術学校生ルネと出くわす。なぜかマルトはルネを気に入り3人の関係は複雑なものに・・・。
「すべての始まりはもちろん羊と草」祖母と曽祖母から編み物を習ったというティナは、かぎ針編みのニットでゲリラ的に街を彩るヤーン・グラフィティ・アーティスト。家の中におさまっている女性の手しごとを街に引っ張り出し、尖った灰色の街を優しく彩る。アイスランドを飛び出し、バルセロナでは海の女神に捧げるブイを編み込んで海に流し、キューバでは「人生万歳!」とカラフルなニットを壁に打ちつける。ポーランド出身のオレクは、表現の自由を求めてアメリカへ。「かぎ針編みは私の言葉であり、これでコミュニケーションをとるの」故郷の人々と一緒に機関車を編み込み、スパイダーマンさながらのパフォーマーが操るニットで彩られた人力車や全身ニットの集団と街を練り歩き、道行く人々を驚かせ、楽しませる独自のスタイルでアートの世界に切り込んでいく。白い糸だけで構成された真っ白な舞台で「Knitting Peace」という公演を行うスウェーデンのコンテンポラリーサーカス、サーカス・シルクール。「糸は色んなものの象徴であり、自在に形を変え、人生のメタファーだ」とパフォーマーは語る。糸の上を歩き、命がけの練習を繰り返すパフォーマーたちの努力に人生の意味を見出させ、観客に投げかける。長年テキスタイルの彫刻を作っていた堀内紀子は、心の空洞を感じるようになった。ある時、作品に子どもたちが飛び乗ったのを見て、「人のために作品を作る」ことを決意する。それ以来、未来を担う子どもたちの想像力を刺激し、子ども自身が工夫して遊び、子ども同士が自然と友達になってしまうカラフルなネットの遊具を、世界中で作り続けている。
現在の台南市下営区に生まれ、幼い頃から絵を描くのが好きだった顔振発(イェン・ジェンファ)。絵に対する才能を感じた家族は、看板職人の陳峰永の弟子に送り出した。1970年代は台湾映画界が盛り上がり、顔は1ヶ月に100から200枚もの手描き映画看板を描き、台南の映画館「全美戯院」の看板を制作から設置まで一手に引き受けた。だが生涯にわたる制作は、視力に大きな負担をかけ、医師が何年も前に、彼の網膜がひどく傷ついていることに気付き、右目はほぼ見えない状態に。それでも、顔振発は今も描き続けている。
1600年代のイタリア。“カラヴァッジョ”の名で知られるミケランジェロ・メリージは優れた芸術家である一方で反逆児と見なされていた。売春婦や泥棒、浮浪者を神聖な絵画のモデルとして扱っていることから、ローマ教皇はバチカンの秘密諜報員に調査を依頼する。
夫を亡くしたベスは、幼いローウェンを連れて、“三日月の家”と呼ばれる別荘にやって来る。その地は昔から三日月型をした岩礁になっており、水難事故が相次いでいた。ある日、家で寝ていたベスとローウェンは、インターホンの音で目覚めるが、外には誰もいない。それから不思議なことが起こり始める。そして、近くに住む少女サムに「気をつけて」と言われるベスだったが、とうとうローウェンを家に残して、ベスが消えてしまう。
日本現代美術における「ゼロ年代作家」のトップランナーたる存在の会田誠だが、表現の過激さによるメディア側の自主規制から、これまで表立った舞台にはほとんど登場してこなかった。映画は2009年夏、北京で制作中の会田に密着し、“生まれながらの芸術家”の生態と本音を赤裸々に、余すところなく映し出している。たぎる命への愛情である“エロス=生”と、世界への真摯な対峙としての“毒=批評性”―すべての常識と制約を取り払い、監督・渡辺正悟がその核心を描いた。1年に及ぶ撮影は、毒を薄めず棘も抜かず、追い詰められた美術家の内面を徹底的に捉えている。画面に広がる、会田の“つくること”への情熱と妄想は、観る者に深く静かな衝撃を与えるであろう。同時に、シリアスな題材にも、ユーモアに満ちた柔らかなまなざしを向ける会田の姿を、カメラは見逃さない。そのブレのない人間力は、家族との心温まる交流にも溢れており、奇才と呼ばれるアーティストの新たな一面に触れるものである。父として、また夫としての素顔は、妻であり同じ現代美術家である岡田裕子のナレーションも相まって、人間としての会田の本質的な魅力に、さらに迫るものとなっている。
キーファーは初期の作品で、ナチスの第三帝国に異論を唱え、近い過去に起こったことに対する沈黙を破る方法として、戦後ドイツのアイデンティティーと向き合った。ナチス式の敬礼を揶揄したり、国民社会主義時代の建築物やゲルマン民族に対して英雄伝説を視覚的に引用また脱構築したりすることで、自らのアイデンティティーと文化を探求した。1971年からドイツのオーデンヴァルトで活動。1992年までは、リード線、藁、植物、生地、木版画など、この時期を通じて彼が作品に導入した素材や技法や、ワーグナーのニーベルングの指輪、パウル・ツェランやインゲボルク・バッハマンの詩、聖書への言及やユダヤの神秘主義などといったテーマが、彼の作品を象徴している。その後フランス・バルジャックのアトリエに移り現在に至るまで絶え間なく創作活動を続けている。熱心な読書家であるキーファーの作品には、文学や詩の引用が何層にもわたって表現されている。これらは必ずしも固定された関連付けでも文字通りの関連付けでもなく、むしろ重なり合い、織物のように織り込まれて意味を形成する。彼が文章と物体として本に関心を抱いていることは、彼の作品に顕著に表れている。創作活動の当初から彼は、数多くのアーティストブックを手掛けた。アンゼルム・キーファーは、絵画、彫刻、本、写真以外にも、さまざまな場所に手を加えてきた。ドイツのホプフィンゲンにある元レンガ工場をアトリエに変身させた後、インスタレーションや彫刻を創作してそれがその場所の一部となった。フランスのバルジャックに拠点を移した後は、アトリエの周囲の地面を掘り起こし、地下トンネルと地下室を網のように張り巡らして数々のインスタレーションを繋いだ。
純粋無垢な美しい少女・ヴァレリエ。彼女には両親がおらず、祖母に厳しく躾けられ育つ。そんなヴァレリエにも、初潮が訪れる。ある日、村にやってきた旅芸人一座に不気味な化け物を見た彼女は、現実とも空想ともつかない不思議で奇妙な悪夢に悩まされるようになり…それ以来ヴァレリエの周囲で怪奇な出来事が次々と起こりはじめる。
とある離島にやってきた、売れない映画俳優のチュー。彼は妻の行方を捜すため、妻と出会ったこの島を訪れた。荒波が押し寄せる島の堤防。カブトガニの面を装着した漁師の集団が怪しげな儀式をしている。漁師たちの守護仏であった町の仏像の頭が消えてしまい、町民たちが捜しているのだ。頭が消えたことで海に出た者は戻ってこなくなってしまい、以来、漁師たちは漁に出ていない。夕暮れ時。宿屋の女主人がチューに声をかける。部屋に落ち着いたチューは、旅の疲れを休めるように目を瞑る。女主人は身の上話を始める。かつて宿を切り盛りしていたのは双子の妹だったが、彼女は8月5日に出て行ってしまったきり戻ってこない。島のダンスホール。妖艶なネオンが輝き、町民たちで店内は賑わっている。タバコをふかす店の女将を遠くから見つめるチュー。停電で客が帰って行き、二人きりになるマネージャーとチュー。女将は5年前、漁に出たきり戻ってこない夫の帰りを待ち続けていた。去の記憶。無機質な部屋に、チューと妻がいる。チューは妻の浮気を疑っている。妻は本業の俳優業に向き合わず写真にのめり込むチューに苛立ちを隠せない。「大人になって現実を見てよ」しかしチューは自分を裏切った妻の言うことに聞く耳を持たない。やがて妻は別れを切り出す…夢と現、過去と現在を彷徨する迷宮に迷い込んだチューの辿り着く先はどこなのか…
ナレーションと音楽を排して食糧の生産現場を見せつけた「いのちの食べかた」や、夜に活動する人々を描いた「眠れぬ夜の仕事図鑑」などを手がけてきたドキュメンタリー作家のニコラス・ゲイハルター監督が、世界70カ所以上におよぶ廃墟の姿を捉えたドキュメンタリー。高度経済成長を支えたマンモス団地をはじめ、かつては人でにぎわったテーマパーク、劇場など、人間の手によって作り出され、利用され、やがて放置されて朽ちていく世界の廃墟の数々を、ナレーションや字幕などによる説明、音楽を排し、人間の姿も一切登場させず、美しい映像とともに切り取っていく。「軍艦島」の呼び名で知られる長崎の端島など、日本の廃墟も映し出される。
大自然に囲まれたチリ南部のドイツ人集落に、動物が大好きなマリアという美しい娘が暮らしていた。ある日、ブタを逃がしてしまったマリアは、きびしい罰に耐えられず脱走。逃げ込んだ一軒家で2匹の子ブタに出会い、「ペドロ」「アナ」と名付けて世話をする事にした。だが、安心したのも束の間、森の奥から彼女を探すオオカミの声が聞こえはじめる。怯えるマリアに呼応するように、子ブタは恐ろしい姿に形を変え、家は悪夢のような禍々しい世界へと化していく…。
世界のグラフィティアートで最も有名なアーティスト、バンクシーが築き上げた帝国、そして世の人々に刺激を与えたムーブメントの秘話。バンクシーの政治への批判や、社会に対し挑戦的ともいえる大胆な活動は、権力社会を激怒させながらも、20年以上にわたり人々を魅了してきました。彼は未だ謎であり、彼の人生については、ほとんど知られていません。日本では初上映となる『バンクシー 抗うものたちのアート革命』は、サブカルチャーのルーツから芸術革命のリーダーにまで上り詰めたバンクシーのドキュメンタリー映画です。少年時代からのバンクシーを知るジョン・ネーションや、共に活動してきたアーティスト達への何時間にもわたる豊富なインタビューから、バンクシーがどのようにして生まれたのか?バンクシー自身のこれまでの実績に基づき忠実に作られた、未だ知られざるバンクシーの一面が見えてくる……!そんなドキュメンタリー映像です。
今も世代を超え愛され続ける画家いわさきちひろ。本作は、誰もが知ってる絵本画家の、誰も知らない波乱の人生を、黒柳徹子、高畑勲ら、ちひろから影響を受けた50人の証言を元にひも解くドキュメンタリー。四面楚歌での再婚、失業中の夫を絵筆一本で支えた過酷な日々、病と闘いながら反戦を訴えた晩年。貴重な原画の数々をもちいて、愛と不屈の物語を描く。ちひろを敬愛する山田洋次がエクゼクティブプロデューサーを務める。
当代きっての歌舞伎役者で誰もが知る女形のスター坂東玉三郎。虚構と現実をないまぜにした幻想的な作品を得意とするダニエル・シュミット監督が、女形という特異な存在を通して、ジェンダー、生と死、そしてフィクションとドキュメンタリーの境界線上に、虚構としての日本の伝統的女性像を浮かびあがらせる。「鷺娘」「大蛇」「積恋雪関扉」を演じる玉三郎の美しい舞台映像。そして、撮影後ほどなくしてこの世を去った女優・杉村春子、日本舞踊家の武原はんの語りや、舞踏家・大野一雄の荘厳な舞踏など、20世紀末日本の黄昏に消えゆくレジェンドたちの“最後の姿”を捉えた貴重な記録。
コロナ禍の2020年。いつかが通う美術大学でも、その影響は例外なく、卒業制作展が中止となった。悲しむ間もなく、作品を持ち帰ることになったいつか。いろいろな感情が渦巻いて、何も手につかない。心配してくれる父・母とも、衝突してしまう。妹のまいもコロナに過剰反応。普段は冷静な親友の平井もイライラを募らせている。こんなことではいけない。絵を描くことに夢中になったきっかけをくれた友人との再会、平井との本音の衝突により、心が動く。未来をこじ開けられるのは、自分しかいない―。誰もが苦しんだ2020年―。心に光が差す青春ストーリー。
ここは、とあるアトリエ。聴こえてくるのは切ったり貼ったりしている音。出来上がったのはレコードジャケット。それは、想像していたのとはちょっと違う。四角い何かのつくり方を教えてくれる人。少し変わった何でもひとりでつくってしまう菅谷晋一のお話し。菅谷晋一と聞いてピンと来ないかもしれません。それではザ・クロマニヨンズを象徴するイラストや、あの毎回どこからやってきたのか分からないジャケットをデザインしている人と言ったら「あぁ!」となる方も多いでしょう。この映画はそんな菅谷晋一の制作過程に密着したドキュメンタリー映画です。さぁ、問題はここからです。この人の生き方が少し変わっているのです。いわゆるデザイナーと言うと美大や専門学校で学び、まずはデザイン事務所に所属して、そこで才能を見出されて独立し、自分の名前で作品を残していく……。そんな姿をイメージしませんか?ところがこの人、大学では建築を学び、卒業後は家業の町工場で働くのです。でもやっぱりデザインしたくて、手探りで学び、どこにも所属せずに人脈ゼロから仕事を手にする。そして、今もたった一人で、本当に一人で、もう20年も楽しそうにものをつくって生きている。好きなことを追いかけて、気がついたら楽しいことが仕事になっていた。なんだか嘘みたいだけど本当の話なんです。そんな菅谷晋一の姿を記録したのは彼の作品だけでなく生き方にも共鳴した映像作家の南部充俊。自らの会社のロゴマークもデザインしてもらうほどの愛情で謎に包まれたその制作過程を記録しました。このドキュメンタリーは音を聴きヒラメキを集めてレコードジャケットを作り上げる作業を通して、新しい生活を求められている私たちに、ただ好きなことに夢中になれば良いんだよ。という簡単(アナログ)なことをきっと教えてくれるはずです。それではアトリエの扉を開けてレコードに針を落としてみましょう。
妹島和世。金沢21世紀美術館やルーブル美術館ランス別館などを手がけ、建築界のノーベル賞とも称されるプリッカー賞を受賞した建築家。彼女は大阪芸術大学アートサイエンス学科新校舎の設計・建築にあたり大切にしたことを3つ挙げている。一つは、建物が立つ「丘」に合せた外観であること。それは周辺の環境と美しく調和する、有機的なフォルムを導き出した。さらに、建物が「開かれている」こと。様々な方向からの出入りでき、様々な方向への視界が確保できるような、内と外との自然なつながりを実現した。そして、そこが人々の「交流の場」となること。まさに、誰もが立ち寄れる、見晴らしのいい丘の上の「公園」である。その構想から完成までの、3年6か月という時間を追ったドキュメンタリー。一人の建築家の一つの建築に向き合う姿を鮮明に描き出している。監督・撮影は、ル・コルビジェ、丹下健三など数々の建築物を撮影してきた写真家ホンマタカシ。90年代に妹島と出会い、それ以来妹島建築を撮影してきた。その彼の映像の力が、妹島の作品を通して「もう一つの作品」を作りあげた。
2018年、オランダから伝えられたあるニュースが、世界に衝撃を与えた。44年ぶりにレンブラントが描いた肖像画が発見されたのだ。競売で落札した絵が実はレンブラントの作品だったと発表したのは、野心に燃える若き画商オーナーのヤン・シックス(11世)。それは果たして本物のレンブラント作品なのか、はたまた無名の画家の作品か…?一枚の肖像画をめぐる議論は、やがて真犯人を探すミステリーのような展開に。監督は『みんなのアムステルダム国立美術館へ』(14)で美術館の舞台裏に深く切り込んだウケ・ホーヘンダイク。美術ドキュメンタリーを専門に、長期間にわたる取材によって数多くの作品を発表してきた監督は、本作を「アートスリラーとしてつくりたかった」と語る。その言葉通り、美術界を大きな混乱と興奮に陥れた大騒動とその顛末が、スリリングかつサスペンスフルに映しだされる。
1969年のサイゴン。9代続いたアオザイ仕立て屋の娘ニュイは60年代の新しいファッションに夢中で、アオザイを仕立てる母と対立していた。ところがある日突然、現代にタイムスリップしたニュイは、変わり果てた自分と店の姿に対面してしまう。なんと母が急逝した後、店が傾き倒産、生家も取り上げ寸前の状態だった。ニュイは現代のファッション業界に潜り込んで奔走する内にアオザイの魅力と母の本当の想いに気づいていく―。
過去と現在、うつつと幻想が交差する不思議な時間旅行。旅するのは現代の映画監督と19世紀フランスの外交官である。このふたりが、ラファエロ、ダ・ ヴィンチ、レンブラント、エル・グレコなど超ー級の美術品が展示されたままのエルミタージュの中を彷徨う中で、ロシア300年の歴史が綴られてゆく。エルミタージュという壮大な迷宮の華麗な回廊や内装の数々を堪能し、世界的マエストロのワレリー・ゲルギエフ指揮による演奏をバックに繰り広げられる華麗な舞踏会に陶酔する。まさに美のジェットコースター!!言葉にあらわしようのない強い印象と感動を残し、見るたびに新しい発見を与えてくれる贅沢な映画である。
高利貸しの手下で借金の取り立て屋ユンと、ベトナムの伝統歌劇<カイルオン>の花形役者リン・フン。全く接点のないはずの二人があるきっかけで知り合い、友情にも似た感情を互いに抱く。ユンは過去の記憶に囚われながらも新たな道を進もうとするが、その罪は償うにはあまりにも大きく、抗えない運命が迫っていた……。
敏腕編集者のアランは電子書籍ブームが押し寄せる中、なんとか時代に順応しようと努力していた。そんな中、作家で友人のレオナールから、不倫をテーマにした新作の相談を受ける。内心、彼の作風を古臭いと感じているアランだが、女優の妻・セレナの意見は正反対だった。そもそも最近、二人の仲は上手くいっていない。アランは年下のデジタル担当と不倫中で、セレナの方もレオナールの妻で政治家秘書のヴァレリーに内緒で、彼と秘密の関係を結んでいるのだった。
バロック風の豪奢で陰鬱な、迷路のようなホテル。夜会服をまとった紳士淑女たちが、演劇やコンサートに無表情に身を沈め、いかさまゲームに興じ、人形のようにワルツを踊り、ナンセンスな会話を繰り返している。そこに、ひとりの男がやってくる。去年出会い、恋に落ち、そして1年後に駆け落ちする約束をした女をここから連れ出すために。しかし再会した女は、そのようなことは全く覚えていないと拒絶する。あなたの夢物語でしょうと。まるで、このホテルには過去など、はたまた恋や愛などという概念は存在しないかのように…
2017年のニューヨーク。秋のサザビーズ・オークションまで6週間―。オークショニアのカペラッツォは意欲にあふれ、有力コレクターたちもざわめきだす。だが作品が出品され高値が予想されるゲルハルト・リヒターは複雑な様子だ。成功を収めるジェフ・クーンズ、世間から忘れられたラリー・プーンズらのアーティストも、アート市場にそれぞれの意見をもっている。一方で、評論家はアートの商品化を憂い、ギャラリストは市場の行く末を案じるが…。そんな彼らをよそに、アートバブルはとどまることを知らない。そして迎えるオークション当日、アートの“価値”は本当に決まるのか…?
「あぁ、見えてない。それがどうした?」視覚がなく、光すら感じたことのない全盲の加藤秀幸は、ある日映画を作ることを決める。加藤は、映画制作におけるさまざまな過程を通して、顔や色の実体、2Dで表現することなど、視覚から見た世界を知っていく。また、加藤と共に製作する見えるスタッフも、加藤を通して視覚のない世界を垣間見る。見えない加藤と見えるスタッフ、それぞれが互いの頭の中にある“イメージ”を想像しながら、SF短編映画がつくられていく。《演出上の都合により、冒頭約10分間は音声のみとなります。また、終盤にエンドロールが一度出ますが、その後もドキュメンタリーは続きます。最後までお楽しみください。》
ナチス・ドイツが略奪した芸術品の総数は約60万点にのぼり、今でも10万点が行方不明と言われる。なぜナチスは、いやヒトラーは美術品略奪に執着したのか?ピカソ、ゴッホ、ゴーギャンらの傑作に「退廃芸術」の烙印を押し、一方で純粋なアーリア人による古典主義的な作品を擁護。権力は芸術をも支配できると妄信するナチスが行った歴史上最悪の美術品強奪と破壊、そしてヒトラーの秘宝たちが辿った知られざる真実とは――?
何ひとつ 望み通りにならなくても、希望は生き続ける―――。88歳を迎えてなお、世界の最先端でエネルギッシュに創作活動 に取り組むジャン=リュック・ゴダールが新たに撮り下ろした子どもたちや美しい海辺などの映像に、様々な<絵画>、<映画> 、<文章>、<音楽>を巧みにコラージュし、この世界が向かおうとする未来を指し示す 5 章からなる物語。
坂口さんを手ほどきする「師匠」は多摩川の河川敷に長年暮らす“多摩川のロビンソンクルーソー”。材料はホームセンターで購入。しめて制作費26,000円。2畳の家に移動用のかわいい車輪付き。師匠の叱咤激励を受けてようやく完成、設置場所は吉祥寺の駐車場。多摩川から設置場所の吉祥寺に移動という前日、東日本大震災が起こった…。
挑発的でコンセプチュアルな作品群を発表するマルジェラ自身はどんな人物だったのか。初のドキュメンタリーとなる本作では、彼と共に一時代を築いたメイレンスやクリエイティブチームの「私たち」が激動の20年間と、謎に包まれたままファッション業界を去った異端児について初めて語り出す。公にされた写真は存在せず、インタビューは書面のみで行い、「I=私」ではなく「We=私たち」で答えたマルジェラ。オランダ出身のドキュメンタリー作家、メンナ・ラウラ・メイール監督は「私たち」が封印してきたモードの舞台裏と狂乱の歴史に鋭く食い込み、数々の貴重なアーカイブと証言を掘り起こした。そして浮き彫りになったのは、傷ついた天才と空中分解していくチームの葛藤の日々だった。「私たち」がタグの代わりにした白い布に込めた意味とは?ファッション業界注目の傑作ドキュメンタリー!
なぜ、“作家”ローラ・アルバートは10年もの間、J.T.リロイに物語を語らせたのか。世界を驚かせた事件の真実を、彼女自身の言葉とガス・ヴァン・サント、トム・ウェイツ、コートニー・ラブ、ビリー・コーガンら、セレブたちとの通話音声によって解剖する。
20世紀で最も偉大なパフォーマーとして知られるフレディー・マーキュリーはアートと音楽の垣根を超え、自身のバンドクイーンを国際的なスターダムへと導いた。彼の無限のボーカルパワーとパフォーマンスは、世界中の観客たちに衝撃を与え、驚かせたが、スポットライトの外では、彼は信じられないほどにプライベートな存在だった。本作では、ここでしか見られないインタビューやフッテージを通じて、フレディ・マーキュリーのストーリーと、ザンジバル島からきたシャイな少年がいかにして現代で最も伝説的な存在になったのかを明らかにする。映画のタイトルにもなった名曲「ボヘミアン・ラプソディ」をはじめとする圧巻のライブパフォーマンス。クイーン全盛期のメンバーの証言に加え、友人や元パブリシスト、ジャケットアルバムを撮影したカメラマンなど、彼らをよく知る周辺人物が語る貴重な逸話の数々。クイーンとフレディを知るために欠かせない、珠玉のライブ&ドキュンメンタリーだ。
『旅するダンボール』は、そんな島津がある日徳之島産のジャガイモの段ボールを見つけ、その源流を辿って行く旅の途中で出会う、この段ボールと深く、浅く、近く、遠く、関わった人たちとの温かい交わりを3年間にわたり追ったドキュメンタリー映画。東京で偶然に見つけたかわいらしいポテトのキャラクターの段ボールがきっかけで、島津と段ボールのつながりは、日本を飛び出し、世界へと広がっていきます。
父と子の世代差のカナダ人浮世絵職人とアメリカ人デザイナーが日本のビデオゲームキャラクターからインスパイアした、新しい浮世絵の作品を作って世界で大人気。『浮世絵ヒーローズ』は、彼等の1つの作品ができるまでに密着したドキュメンタリー!
ブエノスアイレスの州都ラプラタ。椅子のデザインで世界的に大成功をおさめたデザイナーのレオナルドは家族とともにクルチェット邸に住んでいる。それはアメリカ大陸で唯一、かの世界的建築家ル・コルビュジエが設計した私邸。まさに人生の成功の証である。ある朝、ハンマーの破壊音で目覚めたレオナルドは、見知らぬ隣家の住人ビクトルが我が家へ向けて窓を作ろうとしていることを知る。「ちょっと光を入れたいだけ」と言う強面のビクトル。何とか話し合いで解決しようとするレオナルドだが解決せず、騒音で気持ちは乱れ、仕事も上手くいかず、妻との間も崩壊寸前。一方、ビクトルはレオナルドに親しげに近づいてくる。怖れをなしたレオナルドはついに防犯用パニック・ボタンを設置するのだが・・・。